第1回 ペリーと共に日本に上陸したアメリカ音楽

07年04月01日
渡辺三郎

アメリカ音楽が大好きだ。政治や経済、社会…、いろんなことがあっても、やっぱりアメリカ音楽が大好きだ。きっと多くの人も思っているに違いない、J-ポップにしても、ビートルズにしても、ワールド・ミュージックでさえ、こと大衆(ポップ)音楽に関しては、20世紀のアメリカ音楽の影響を抜きにしては語れないだろう。そして、日本とアメリカの音楽の結びつきは、ほかのどの洋楽よりも古い。


江戸時代の横須賀に流れたアメリカンミュージック


853年7月8日、4隻の黒船に乗って浦賀に来航したペリー提督はアメリカ大統領からの親書を携えて7月14日、横須賀の久里浜に上陸。このとき海兵隊が演奏したのが「ヤンキー・ドゥードゥル」という米国独立戦争時の曲だった。また翌1854年3月27日、日米和親条約の合意にあたって60人ほどのサムライを旗艦に招待し、パーティーを開いたときに演じられたのが、当時アメリカで大流行していたミンストレル・ショウだった。


ミンストレル・ショウはミュージシャンが黒人の扮装をしてバンジョーやフィドル(バイオリンの俗称)をかき鳴らし、笛やパーカッションなども使った陽気でにぎやかなエンターテイメントだ。当時のレパートリーには、人気作曲家フォスターの曲などが演奏され、その後、横浜、函館、下田、那覇の各地でも公演されたという記録が残されている。153年前の江戸・幕末の情景の中に、アメリカ音楽が流れる様が思い浮かぶ…。


このとき、日本にはじめて西洋音楽がエンターテイメントとして上陸、その後の西洋音楽文化の基礎となったであろうことは想像に難くない(もちろん、織田信長時代にイエズス会が持ち込んだ教会音楽の影響を限定的に考えればだが…)。ペリーの上陸に際して演奏された「ヤンキー・ドゥードゥル」はのちに甚句形式で日本語詩がつけられ「アルプス一万尺」となったし、アメリカ南北戦争(1861-1865)で広まった「リパブリック賛歌」が「ごんべさんの赤ちゃん」などとして人々に伝わったことなど、日米の民衆レベルの音楽交流は、ほかのどの洋楽よりも歴史のあるものといえるだろう。



▲1854年3月27日、ペリー提督が日米和親条約の合意を祝って旗艦に幕府関係者を集めて演じられたミンストレル・ショウが、日本初のアメリカン・エンターテイメントだった。神奈川県立歴史博物館に所蔵される当時の絵師が描いたものには、バンジョーやフィドル(バイオリン)のほか、ギターと思われるものや笛、トライアングル、タンバリン、ボーンズ(骨)などのパーカッションが描かれている。(笠原潔著『黒船来航と音楽』=吉川弘文館=より)


そんな歴史を持つ日本のアメリカ音楽、明治以降には唱歌、そして、レコード/ラジオ文化がはじまった。昭和に入ってからはジャズやハワイアン、戦後はカントリー&ウエスタンからロカビリー、フォークブーム、ロック…、われわれ日本人はさまざまな時代にアメリカ音楽と出会ってきた。


大好きで、身近なはずのアメリカ音楽。だが、その音楽が生まれてきた土地や人々、そのルーツや背景に関しては、ほとんど知られていない。大都会のホールやクラブ(ライブハウス)で聴くのとは違って、その音楽が生まれた土地で聴くアメリカ音楽は格別なのだ。そんな、アメリカの各地で生まれ育まれてきた音楽を、順次紹介していく。


第1回 ペリーと共に日本に上陸したアメリカ音楽

▲5月になると全米で野外の音楽フェスティバルがはじまる。中でもブルーグラス・フェスはアコースティック楽器を使うこともあり、また18世紀以来の伝統音楽をもとにしていることもあり、観客自身もミュージシャンということが多い。そんな彼らの楽しみは、憧れのミュージシャンから直接手ほどきを受けられるワークショップ。日本からベースをかついで飛行機に乗るのは、無理かな…。(写真提供:テルライド・ブルーグラス・フェスティバル、http://www.bluegrass.com/


 



コメント (1)

Link-USAオープンおめでとうございます!
まだまだ未知のアメリカンルーツ音楽についての紹介記事楽しみにしております。
※このコメントはリニューアルに伴いLink-USAがコピーしました。
コメントをいただいた日付: 2007-04-29 10:31:30

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