Lake House

フロリダでの滞在もつかの間、再びノースキャロライナ州へ北上。MIPSOのメンバーがツアーの合間 、メンバーのお父さんが持つレイクハウスでのんびりするからと招待してもらいました。


ビル・クリフトンに会いに

その翌日、私がよく知る一番若いバンド(20代前半)から、一番年配のミュージシャンの家に移動。ウエストバージニア州に住むおじいちゃん、ビル・クリフトンに会いに行きました。彼はその当時、アメリカのブルーグラスミュージシャン第一世代としては珍しく裕福な家庭で育ったため、大学卒業後にブルーグラスミュージシャンになることを母親から反対されたと言います。母親に見つからないように名字を変え、ビル・クリフトンと名乗り、その名で世に知られるようになりました。彼はミュージシャンとして素晴らしいのはもちろんのこと、人としても素晴らしく、会うたびに様々な話をしてくれ、勉強させてくれます。私が米国大学滞在中にもよく会いに行っていたのですが、この度も色々な話を聞くことができ、知識も心も豊かにしてもらいました。
ビル・クリフトン(1931-)
1952年にレコーディングし、ビル・クリフトンとして世に出る。1955年には『150 Old Time Folk and Gospel Songs』というトラディショナル本を出版。1961年に初の野外ブルーグラスコンサートをアメリカで主催。フォークブームには、ヨーロッパでフォークやブルーグラスを紹介した第一人者でもある。1967年にケネディ大統領が作った平和部隊に参加しており、三年間フィリピンにいた際、ブルーグラスミュージシャンとして初の来日を果たし、日本のブルーグラスミュージシャンとの交流もしている。ブルーグラスを世界に伝えたパイオニアの一人としてブルーグラス界では様々な賞を受賞しており、2008年にはブルーグラス名誉の殿堂入りも果たしている。
また、カーター ファミリーを世に広め、生涯サポートをし続けたのもビル・クリフトンである。カーター ファミリーとは1927年にカントリー音楽のビッグバンと言われる、ブリストルセッションズで発掘された女性2人、男性1人のグループである。彼らはアパラチアの山の音楽を収集し、ギターとオートハープとトリオハーモニーのアンサンブルで世にその名を残した 。それが後のブルーグラスの基となる。余談ですが、同じ日にブリストルセッションズで発掘されたジミー・ロジャースは後のハンク・ウィリアムズからボブ・ディランに繋がるシンガーソングライターの祖とされています。
彼らの住む家の近くにはカーターフォールドというカーターファミリーの家族によって経営されているダンスもできるライヴ会場がある。ここは老若男女問わず、下は10代から上は80代まで、皆がダンスホールで踊るという昔から変わらない集会場のような所。(写真はそこでビル・クリフトン夫妻と撮ったもの。2011年)
The Carter Fold

3449 A. P. Carter Highway
Hiltons, VA 24258
⇒ The Carter Fold
筆者 プロフィール
井上ゆい子
東テネシー州立大学卒業。ブルーグラス音学科がある同校でブルーグラス特待生として4年間を過ごす。
帰国後、北米からミュージシャンを招聘しブルーグラス音楽を日本で紹介するため奔走中。 http://www.ann-grassroots.com/
次回 ⇒ 日本人陶芸家でバンジョー奏者に会いに に続く
# 1 | 旅の目的 |
# 2 | テネシー州からケンタッキー州へ |
# 3 | River of Music Party フェスへ |
# 4 | MIPSOに会いにルイビルへ |
# 5 | フィドラー ケイシー・ドリーセンを尋ねて |
# 6 | フロリダ州ヴィロ・ビーチ Mike Block String Cam |
# 7 | Lake House |
# 8 | 日本人陶芸家でバンジョー奏者に会いに |