
写真 文:桑田英彦
テネシー州メンフィス

ミシシッピの大河に隣接しているにもかかわらず、小高い丘の上に位置するメンフィスの街は洪水の影響を受けることがなかった。ゆえに古くから通運の要となり、20世紀に入ると世界最大の綿花と木材の集散地として繁栄した。綿花産業を支える奴隷を売買するための大市場でもあったこの街は、1960年代には公民権運動の波に巻き込まれ、1968年4月4日、遊説中のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師がダウンタウンのロレイン・モーテルで暗殺された。
メンフィス最大の観光資源、それは音楽だ。エルヴィス・プレスリー、ジョニー・キャッシュなどのスーパースターたち、B.B.キング、マディ・ウォーターズなど数え切れない数のブルースマンたち、みんなメンフィスを経由して世界に飛び出して行ったのだ。エルヴィスの自宅だったグレースランド、ミシシッピから出てきた多くのブルースマンたちがしのぎを削ったビール・ストリートなど、街には多くのメモラビリアが点在しており、それらを求めて世界中から多くの観光客が訪れる。
グレースランド

1977年夏、大ヒットを記録したアルバム『ホテル・カリフォルニア』を携えて全米ツアー中のイーグルスがメンフィスにやってきた。メンバーたちにとって今回のメンフィス滞在はメモラブルなものになるはずだった。というのは、滞在中にグレースランドを訪問して、エルヴィスとの面会が予定されていたのである。少年時代にエルヴィス・ショックの洗礼を受けた世代であるメンバーたちは、訪問当日ホテルでスタンバイしてグレースランドからの連絡を待っていた。しかし待てど暮らせど連絡はなく、時計の針が真夜中を指す頃になってやっと電話が鳴り、エルヴィスのスタッフは電話でこう伝えてきた。「The King isn’t feeling good tonight, エルヴィスはとても楽しみにしていたが、今夜はとても応対できる体調ではない。ぜひ次の機会に」。長年に渡るドラッグの常用でエルヴィスの健康は蝕まれ、日常生活は問題なかったが時として体調を崩し、この夜は来客の応対さえ無理な状態だったという。そしてこのイーグルスとの面会キャンセルから2週間後の8月16日、エルヴィスは心臓発作でこの世を去った。まだ42歳という若さだった。

エルヴィスがグレースランドを購入したのは1957年、若干22歳の時である。前年に大手RCAとの契約金4万ドルを手にしたエルヴィスは、当時すでに所有していたメンフィス東部にあった自宅を売却し、約10万ドルで購入している。8部屋のベッドルームやバスルームを含めると全23室を擁する豪邸である。父親のヴァーノン、母親のグラディスとともに引っ越してきて、室内や庭園を自分の好みに合わせて大改造を行ったという。玄関を入ると正面には若きエルヴィスの肖像が飾られた階段があり、右側には優しい自然光が射し込むリビングルームが広がる。地下には複数台のTVモニターやオーディオ機器が並ぶリスニング・ルームが、そしてその階上にはジャングル・ルームと呼ばれるウッディな造りの部屋がある。この部屋はレコーディング・スタジオとしても使用され、エルヴィスの最後の2作である『メンフィスより愛を込めて』と『ムーディ・ブルー』の大部分がここで録音された。

ラケットボール・ビルディングと呼ばれる別棟に入ると、ゴールドディスクで埋め尽くされた大きな壁面が天井まで続く、エルヴィスの有名なジャンプスーツなどがディスプレイされた広い部屋がある。大きなモニターにはこれらのジャンプスーツに身をまとった華麗なエルヴィスのステージが映し出されている。

亡くなる前夜、エルヴィスは深夜診療の歯科からグレースランドに戻り、翌朝午前4時には友人夫婦やガールフレンドとラケットボールを楽しんでいる。その後ピアノの弾き語りで”Unchained Melody”と”Blue Eyes Crying in the Rain.”の2曲を友人のために演奏した(写真下)。これがエルヴィス最後のパフォーマンスとなったのだ。庭園にあるプールを背にした半円形の墓地には、エルヴィスを真ん中にして、両親と祖母もこの場所に埋葬されている。


3734 Elvis Presley Blvd, Memphis
TEL:(901) 332-3322 http://www.graceland.com
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01.アメリカーナ・トレイル テネシー州メンフィス グレースランド |
02.アメリカーナ・トレイル テネシー州メンフィス サン・レコード |
03.アメリカーナ・トレイル テネシー州メンフィス ビール・ストリート |
04.アメリカーナ・トレイル テネシー州ブラウンズヴィル |
著者紹介
桑田英彦 Hidehiko Kuwata
音楽雑誌の編集者を経て渡米。1980 年代をアメリカで過ごす。帰国後は雑誌、機内誌や会員誌などの海外取材を中心にライター・カメラマンとして活動。世界30カ国を旅して、観光地だけでなく、ライフスタイル、グルメなどを取材。またアメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリー、ウクライナなど、海外のワイナリーを数多く取材。著書は『ワインで旅する カリフォルニア』『英国ロックを歩く』(スペースシャワーネットワーク)、『ミシシッピ・ブルース・トレイル』(スペースシャワーネットワーク)、『ハワイアン・ミュージックの歩き方』(ダイヤモンド社)、『アメリカン・ミュージック・トレイル』(シンコーミュージック)等。