メンフィス アメリカ音楽好きのあこがれの地

メンフィスは、アメリカ音楽の中でブルース、ソウルミュージック、ロックンロールが好きな人にとって、一度は行ってみたい街の一つだろう。何故なら、ブルースはこの街で育ち、ソウルやロックンロールはこの街で産まれたと言われているからだ。
ブルースはメンフィスがあるテネシー州や、さらに南にあるミシシッピ州で演奏していたブルースメンがメンフィスのビールストリートに集まってきた。その頃はアコースティックギターなどで弾き語るスタイルだった。メンフィスよりも北にあるシカゴで黒人労働者を必要とする産業が成長するにつれて、多くの黒人労働者がシカゴなどに移る際に、メンフィスに居たブルースメン達もシカゴに移住し、楽器がエレキ化されシカゴブルースへ発展していった。代表的なシカゴブルースのブルースマンの中に、ビールストリートで演奏していたというブルースマンは少なくない。
ソウルミュージックは、メンフィスで産まれ、デトロイトが自動車産業で発展し労働力を必要とすると、黒人労働者と共にミュージシャンもデトロイトへ流れて行き、その後はモータウンサウンドと呼ばれるソウルミュージックへとなった。しかし、デトロイトで演奏されていた初期のソウルはゴスペルをベースとしたメンフィススタイルのソウルミュージックが多く、サザンソウルと呼ばれていた。
ロックンロールの誕生に関しては諸説があるが、音楽の一つのスタイルとして注目され、当時の若者たちの間で流行したきっかけを作ったのは、エルビス プレスリーである事は間違いなく、デビュー曲である「That’s All Right 」をレコーディングしたのがメンフィスのサンスタジオであったことから、メンフィスがロックンロールの生誕の地と言われている。
メンフィスと自分
メンフィスはこのような音楽の街なので、アメリカ音楽が好きな人にとって、一度は行ってみたい街の一つだろうなんてことを冒頭に書いているが、音楽好きの自分が実際にメンフィスへ行くのは今回が初めてである。若い頃には行く余裕もなく、おっさんになってからも、シカゴ、メンフィス、ニューオーリンズは一度は行ってみたいと漠然と思っていただけで、なかなか行動にうつせていなかった。
それが、孫ができて じいさんになってから、メンフィスへ行きたいと思う出来事がいくつか起こり、以前よりも行きたいと思う気持ちは強くなった。


若い頃は全く理解してなかったが、この2枚のアルバムに収められている多くの曲がデルタブルース、ラグタイム、サザンソウル、リズム&ブルースなどのメンフィスミュージックだったのである。この2枚のレコードを通じて、オリジナルではないけど、メンフィスミュージックが10代の頃に刷り込まれていたのである。

それと、有山じゅんじさんのライブのお手伝いをしている時に時々、『ぼちぼちいこか』と『この熱い魂を伝えたいんや』を僕に貸してくれた先輩はどうしているんだろうと思い出すことがあったが、実際には連絡する事は無いまま日が経っていた。それが、昨年にその先輩が亡くなったという話を聞いた。まだ50代半ばという年齢もあったが、死因が風邪をこじらせたという嘘のような話に驚いた。先輩の訃報とメンフィスへ行きたいという気持ちに直接的なつながりはないが、「会いたいと思う人と会っておくべき。行きたいと思う所へ行っておくべき。やりたいと思う事をやっておくべき」と思った。そう思うと、やはりメンフィスへは行っておくべき場所だと思った。
他にもメンフィスへ行きたいと思う出来事が50代になってから起こるのだが、それは他のページで書くとしよう。
次回 ⇒ 2. WiFiルーターと翻訳機 ili に続く
メンフィス ビールストリート の場所と行き方
Beale Street
メンフィス国際空港から車(レンタカー)で行く場合の一例。
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