サンスタジオのレコーディング・スタジオ 数々の名曲が生まれた場所
それでは、サンスタジオの一階にあるレコーディング・スタジオを見学です。

スタジオの入り口にあるオフィスです。
1953年8月、当時18歳のエルビス プレスリーが個人的なレコーディングでサンスタジオを訪れました。その時にアシスタントのマリオン キースカー(Marion Keisker)が、エルビス プレスリーの歌声が気に入り、連絡先や声の特徴などをメモっていたのです。そのメモが残っていたから、後にサム フィリップスがレコーディング歌手を探している時に、マリオン キースカーがエルビス プレスリーを推薦して起用が決まった時に、本人に連絡を取れたのです。
しかし、このオフィスにある、TV、ラジオ、レコードプレーヤー、スピーカーが一体になったAVコンポとでも言うのでしょうか?すごい逸品ですね。
レコーディング・スタジオの様子

ここがレコーディング・スタジオです。ここで多くの曲がレコーディングされました。最も有名なエピソードはエルビス プレスリーのデビュー・シングルが録音された事です。
それは1954年、夏の出来事です。サム フィリップスが入手した楽曲「Without You」のボーカルに、アシスタントのマリオン キースカーが推薦するエルビス プレスリーをサンスタジオに呼んでレコーディングを試みましたが、上手くいかずボツとなりました。しかし、エルビス プレスリーの声に興味を持ったサム フィリップスは何曲か歌わせてみましたが成果はありませんでした。みんなが諦めムードで休憩している最中に、エルビス プレスリーがデルタ・ブルース歌手 アーサー“ビッグボーイ”クルーダップ(Arthur“Big Boy”Crudup)の「ザッツ・オール・ライト」(1949年)をアップテンポで演奏を始め、レコーディング・メンバーのベーシスト ビル ブラックやギターのスコティ ムーア(Scotty Moore)もそれに乗っかって演奏を始めました。この時点では録音はされていませんでしたが、その様子を見聞きしていたサム フィリップスが、もう一度、最初から演奏するように指示して録音しました。このレコーディングがエルビス プレスリーのデビュー・シングルになりました。このシングルを、ラジオ局 WHBQのデューイ フィリップスがオンエアしたら、ローカルヒットとなり、エルビス プレスリーは注目されるようになりました。
しかし、エルビス プレスリーの人気があがるにつれて、ローカルのマイナーレーベルであるサンレコードでは限界があります。1955年11月20日、エルビス プレスリーの将来性と、経営に苦しんでいたサンレコードの救済のために、エルビス プレスリーは大手のRCAへ移籍する事になりました。


復活後のサンスタジオでのレコーディング


他にもデフ・レパードが「トゥナイト」を、ジョン メレンキャンプがアルバム『No Better Than This』(2010)の内の数曲を、ボニー レイットやリンゴ スターも復活後のサンスタジオでレコーディングを行っています。今でも、夜間はレコーディング・スタジオとして使うことが出来るそうです。
ミリオン・ダラー・カルテット

壁にミリオン・ダラー・カルテットの写真が掛けられていました。このミリオン・ダラー・カルテットというのは、カール パーキンスとジェリー リー ルイスがレコーディングをしている最中に、サンレコードからRCAレコードへ移籍したエルビス プレスリーが遊びに来て、ジャム・セッションを始めた所にジョニー キャッシュも加わりました。スーパースターの夢の競演が始まったのです。この様子を新聞記者のボブ ジョンソンが、写真に撮り新聞記事にした時のタイトルが「ミリオン・ダラー・カルテット」だったのです。この時のセッションを録音したものが1981年に発表されました。
エルビス プレスリーになりきろう


エルビス プレスリーがレコーディングで使ったというマイクが、スタジオに引っ張り出されてきます。このマイクを使って個人撮影が出来るのです。
男性の方々はそれらしいポーズを付けられていたのですが、すぐに動くのでフォーカスがブレてしまいます。この女性の写真もピントが甘いですが、ご了承ください。
次回 ⇒ 37. コットンミュージアムでメンフィスの歴史を学ぶ に続く
サンスタジオの場所と行き方
SUN STUDIO 706 Union Ave., Downtown Memphis, TN
メンフィス国際空港からサンスタジオへ、車(レンタカー)で行く場合の一例。
※ 駐車場は建物の裏手にあります。
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