コットンミュージアム The Cotton Museum At The Memphis Cotton Exchange


⇒ コットンミュージアムの場所と行き方


⇒ コットンミュージアムの公式H.P.
コットンミュージアムの内部

2006年、コットンの取引所であったメンフィス コットン エクスチェンジ(Memphis Cotton Exchange)の跡にオープンしたのです。中に入ると当時のコットン取引所の様子が再現されています。

当時のコットンに関してはメンフィスが世界の中心で、コットンのトレーダーは忙殺されていました。

入り口正面に大きめのモニターがあって、メンフィスの歴史に関してのフィルムを見る事ができます。メンフィスは別名ブラフシティと呼ばれています。これは、メンフィスがミシシッピ川の氾濫などの水害にあわないように、第四チカソー崖(Chickasaw Bluff Number Four)の上に建設されたからです。メンフィスを中心に広がるデルタ地帯の広大な綿花畑から綿花が集められてメンフィスの港から出荷されて行くのです。そして、綿花畑の労働力として船で連れてこられたアフリカ人が奴隷として売買されていた場所なのです。

コットン産業に関する写真や展示物を見ることができます。ミシシッピ・デルタのコットン産業は、アメリカの国力を飛躍的にアップする産業だったのです。
メンフィスの音楽に関する展示

メンフィスの音楽に関する歴史的な展示もあります。メンフィスではロックンロールが生まれ、ブルースやソウルミュージックの基盤が作られました。

シカゴブルースのパイオニアである マディ ウォーターズやハウリン ウルフは、ミシシッピ州で産まれ、メンフィスを経由してシカゴへ行きました。
Exploration Hall

綿花に関する基本的な事から、機械化、近代化に関する資料室です。

先ほどの展示室に比べると、どちらかと言うと児童向けに解りやすく作られています。学生のためのガイド付きツアーも実施しているそうです。

一つ気になったのはここの展示では明確にしていませんが、アフリカ系アメリカ人が奴隷解放された後に低賃金で働いていた時代があります。しかし、機械化されることにより多くのアフリカ系アメリカ人が失業して、食べるのに困る事になり、メンフィスに仕事を求めてやってきたアフリカ系アメリカ人達は、港湾労働や清掃労働のようなキツくて危険な労働をするほかなかったのです。そのような状況から、清掃ボイコットへつながっていったのでしょう。
次回 ⇒ 38. テネシー ウェルカム センター に寄ってみた。 に続く
コットンミュージアムの場所と行き方
The Cotton Museum At The Memphis Cotton Exchange
65 Union Ave, Memphis, TN
メンフィス国際空港からコットンミュージアムへ、車(レンタカー)で行く場合の一例。
⇒ 大きな地図で見る