ソウルミュージックの老舗レーベル スタックス・レコードの博物館


⇒ スタックス・アメリカン ソウル ミュージック博物館の場所と行き方
オーティス レディングを初めて聞いた頃


メンフィス名誉市民 忌野清志郎

スタックス博物館を見学する前にスタッフによるレクチャーがあります。当然ながらスタックス・レコードに関わった有名なミュージシャンの名前が次から次へと出てきますが、初期のスタックス・レコードにおいて最も重要なミュージシャン(グループ)は、Booker T. & the M.G.’s なのです。バンドとしてもヒット曲を持っていますが、初期スタックスのサウンドの要は Booker T. & the M.G.’sが担っていました。
Booker T. & the M.G.’sの名前が出てきて思い出したのが、日本を代表するソウルシンガーの忌野清志郎さん。忌野清志郎さんは2枚目のソロ・アルバム『Memphis』(1992年)を1991年にメンフィスでBooker T. & the M.G.’sとレコーディングしたのです。そしてレコーディングの為にメンフィスに滞在中にメンフィス名誉市民の称号が贈られました。1971年に解散していた Booker T. & the M.G.’s がサポートという形でも集まったことは、メンフィスの音楽シーンにおいて大きな出来事だったのでしょう。
ゴスペルから始まったソウルミュージック

展示スペースに入って最初の展示は1906年頃に建てられた南部の教会の様子でした。アフリカから奴隷として連れてこられた人々にとっての最初の音楽は綿花畑での労働歌でした。この労働歌は日常の生活の場やジュークジョイント(酒場)などで歌われるブルースへ発展していきました。教会ではヨーロッパの讃美歌ではなく、リズムが強調されコールアンドレスポンスなどが多用されたゴスペルに生まれ変わって歌われました。このゴスペルの音楽的な要素を取り入れ、福音ではなく大衆的な歌詞を歌ったものがソウルミュージックへとなっていきました。
別の説としてブルースがリズムを強調されリズム&ブルースと発展し、さらにソウルミュージックへと変わっていったという説もありますが、こちらも間違いでは無く、両説が同時発生していたり、クロスカルチャーとして発展していったと考えられます。
ソウルシンガーでクイーン・オブ・ソウル”と呼ばれているアレサ フランクリン(Aretha Franklin)の父親は教会の牧師で、アレサは幼い頃から父の教会でゴスペルを歌っていました。サム クック(Sam Cooke)の父親も教会の牧師で、10代からゴスペル・グループのソウル・スターラーズでリードボーカルを務めてました。他にも、ウィルソン ピケット(Wilson Pickett)、ソロモン バーク(Solomon Burke)、ボビー ウーマック(Bobby Womack)もゴスペル・グループで活動していた経歴を持ち、ゴスペルをルーツに持つソウル・シンガーを挙げればキリが無いほどです。
Express Yourself

スタックス博物館の館内には大量のアイテムが展示されています。一つ一つを見学しているとかなりの時間が掛かります。特にこの”Express Yourself”ではミラーボールが釣り下がっていて、ディスコのダンスフロアーの様になっており、次から次へとソウルの名曲が流れスクリーンに映し出されるので、つい足が止まってしまいます。なかにはしばらく踊っている人も居ました。
スタジオでミュージック・ライブ

展示の順路を進んで行くと、ミキシングボードが有り、スタジオのコントロールルームのようになっています。そのミキシングボードの向こう側に窓がありスタジオを覗けるようになっています。コントロールルームの展示が通路にあるという、ちょっと斬新なレイアウトに驚きました。窓の向こう側ではミュージックライブのステージをセッテッングしている様子でした。

スタジオに入ってみると、そのスペースはなかなかの広さがあります。それもそのはず、スタックスのスタジオはもともとはキャピトル劇場という映画館だったので広いのは当然です。このレコーディングホールは、当時のレコーディングホールを再現したもので、コントロールルーム(ステージの裏側)に向かってスロープになっています。このスロープにより生み出される独特の音響が当時はスタックスサウンドとして有名になりました。
アフリカの民族衣装をまとった人たちが楽器などをセッティングしていました。もうしばらく後に演奏をするということなので、客席で待機しました。

演奏開始時間になっても誰もステージに現れません。しかし、遠くで打楽器の音が聞こえてきます。もしやと思い、スタジオを出て次の展示順路へ出てみると、やはりミュージシャンたちが演奏しながら通路をスタジオへ向かって歩いてきます。

スタジオの出口から順路とは逆行する形で、次々とミュージシャンたちがスタジオへ入ってきます。

客席の後方の空いたスペースでしばらく演奏していると、順路通りにやってくるお客さんや、通路で演奏するミュージシャンについて逆行してきたお客さんで、スタジオ内に観客が増えていきました。

バンドメンバーがステージに着いた頃には客席の椅子は満席になり、先ほどまで演奏していた客席後方のスペースにも立ち見のお客さんが増えてきました。ジャンルはアフリカン・ジャズと言ってましたが、最初の方は純粋なアフリカン・ミュージックを演奏していました。途中からアフリカンリズムを強調したクロスオーバー・ミュージックに変わっていきました。

演奏が数曲進んだところで、多くの子供たちが観客席にやってきたので、バンドの指示に従って椅子席を数メートル後ろへ下げて、ステージと客席の間にスペースを設けて、そこに子供たちが座りました。子供達が来てからは、よりソウルミュージックに近いサウンドに変わり、子供たちも熱心に耳を傾けていました。なかなか日本では聞けないアンサンブルだったので良いタイミングで見学できたことに満足しました。
展示物の写真も撮りましたが、キリが無いので割愛しますが、スタックス博物館はソウルミュージック・ファンには見応えのある博物館です。
⇒ スタックス・アメリカン ソウル ミュージック博物館のH.P.
次回 ⇒ 49. ウィリー ミッチェルズ ロイヤルスタジオを訪問 に続く
スタックス・アメリカン ソウル ミュージック博物館の場所と行き方
Stax Museum of American Soul Music 926 E. McLemore Ave Memphis, TN
メンフィス国際空港からスタックス・アメリカン ソウル ミュージック博物館へ、車(レンタカー)で行く場合の一例。
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