国立公民権運動博物館 National Civil Rights Museum


マーチン・ルーサー・キング牧師 暗殺の地

国立公民権運動博物館

1968年4月4日、メンフィス遊説中のマーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は、ここメンフィスにあるロレインモーテル306号室のバルコニーで、白人男性のジェームズ・アール・レイの凶弾に倒れます。病院に搬送されましたが、間もなく死亡しました。
その死を悼み、遺志を受け継ぐべく、彼の最期の地となったモーテルは現在、公民権運動の博物館として公開されています。
あまりにも有名な「I have a dream」のフィルム演説から見学はスタートです。

バスボイコット事件の展示

また、有名な「バスボイコット運動」に関しては、当時のバスが再現されているので実際に乗り込んでみましょう。
見学者が前方の白人専用席に座ると、ドライバーが後方の黒人用の席に移動しろと命じる、という一部始終を体験することができ、当時の黒人がどのような差別を受けていたのかを知ることができます。

国立公民権運動博物館 National Civil Rights Museum

ロレインモーテルのサイン。

国立公民権運動博物館 National Civil Rights Museum

国立公民権運動博物館 National Civil Rights Museum当時のままに復元されたロレインモーテル306号室。この部屋のバルコニーで、マーティン ルーサー キング ジュニアは凶弾に倒れました。
狙撃前夜や直後の様子がVTRで見る事ができます。
通りの向いにある別館には狙撃に使われた部屋がそのまま保存されており、暗殺の一部始終や、事件に係る展示を見る事ができます。

国立公民権運動博物館 National Civil Rights Museum

展示内容は、英語がわからなくても、ある程度はわかるようになっています。
 ⇒ 国立公民権運動博物館 National Civil Rights Museum の公式HP

 

ローザ パークスの逮捕とバスボイコット事件

バスボイコット事件の展示1955年12月1日18時ごろ、アラバマ州 モンゴメリーでの出来事。
仕事を終えて市営バスに乗って帰宅中のローザ パークス(当時42歳)は、黒人席が満席の際に座ってもよいとされている中間席に座っていた。
バスは次第に白人の乗客が増えてきて、運転手のジェイムズ ブレイクが中間席に座っている黒人に向かって白人のために席を空けるように命じた。座っていた黒人の4人のうちの3名は席を空けたが、ローザは立とうとしなかった。運転手のジェイムズはローザに詰め寄るが、ローザは着席したままで居た。ジェイムズは「立たないんなら警察を呼んで逮捕させるぞ」と言ったが、ローザは「どうぞ」と答えたので、ジェイムズは警察に通報し、ローザは市条例違反で逮捕された。
当時のアメリカ南部の諸州には、ジム・クロウ法(Jim Crow laws)と呼ばれる人種分離法が施行され、黒人は白人と日常生活のあらゆる場所で隔離されていた。黒人は奴隷から解放されていたが、人種分離の名のもとに人種差別されていた。
逮捕されたローザは拘置所に入れられた後に即日保釈。後日、モンゴメリー市役所内の州簡易裁判所で罰金刑を宣告される。
 
ローザ パークスの逮捕を知った社会運動家のエドガー ニクソンは、ジョージア州 アトランタからモンゴメリーの教会に移ったばかりの牧師マーティン ルーサー キング ジュニアやラルフ アバーナシーに、「バス乗車ボイコット運動」を持ち掛ける。
マーティン ルーサー キング ジュニアやラルフ アバーナシーは抗議運動に立ち上がり、モンゴメリーに住む黒人たちに「バス乗車ボイコット運動」を呼びかけた。
当時のモンゴメリーの黒人たちにとって、バスは移動手段に不可欠な交通機関であったが、黒人たちは数少ない黒人が所有する車に同乗したり、歩いて移動するという方法でバスの利用をしなくなる。市営バスの利用客の75%が黒人であったことから、モンゴメリー市は経済的ダメージを受ける。
また、バス車内における人種分離条例は違憲であると控訴し、1956年11月に連邦最高裁判所は違憲判決を下す。これにより、公共交通機関における人種差別は禁止となる。判決の翌日、381日間のボイコット運動は収束した。
これを機に、マーティン ルーサー キング ジュニアは公民権運動を全米各地で指導するようになった。

マーティン ルーサー キング ジュニア Martin Luther King, Jr.

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア Martin Luther King, Jr.1929年1月15日 ジョージア州 アトランタで、牧師のマイケル・ルーサー・キングの息子として誕生。
大学を卒業後、父親と同じくバプテスト派の牧師となる。
1955年12月にモンゴメリーで発生した人種差別によるローザ・パークス逮捕事件に抗議し、人種差別容認に対する違憲判決を勝ち取る。
それ以後、牧師をしながら全米各地で公民権運動を指導した。
1964年7月2日、リンドン・B・ジョンソン政権下において公民権法(Civil Rights Act)が制定され、法の上において人種差別は終わりを告げる。
しかし、実際には、多くの黒人がベトナム戦争に徴兵され最前線に送り込まれたり、差別により失業し生活に苦しむ多くの黒人の為に、ベトナム反戦運動や、黒人の待遇改善のために運動を続けるが、活動が活発になるにつれて暗殺の危険に身をさらす事となる。
1968年にメンフィスで凶弾に倒れる。

奴隷解放宣言後の人種差別

1862年にエイブラハム・リンカーン大統領による奴隷解放宣言により、奴隷制は廃止されたが、人種差別により有色人種はリンカーンが唱える「自由で平等」とはかけ離れた生活を送る。
トイレやバス、食堂などで白人用と白人以外用と分け隔てられており、明らかな人種差別を受けていた。
リンカーン大統領による奴隷解放宣言から、リンドン・B・ジョンソン政権下の1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)が制定されるまで、100年以上の年月がかかった。

マーティン ルーサー キング ジュニア の非暴力主義

マーティン ルーサー キング ジュニアは、インド独立の父 マハトマ・ガンディーに啓蒙していたのと、牧師である立場もあって、一切抵抗しない非暴力を貫いた。
1963年5月にアラバマ州バーミングハムでの運動の時、無抵抗の黒人に警察犬をけしかけたり、警棒で滅多打ちにしたり、黒人女性達に高圧ホースで水を打ちつけるシーンがTVで中継され、その様子がアメリカ国内に流れる。
世間は、その酷さに黒人差別に対する認識が変わり始める。

ワシントン大行進

マーティン ルーサー キング ジュニアの運動が盛り上がってきたタイミングで、ルーズベルト大統領に人種差別撤廃を直訴した黒人労働組合のリーダーであるランドルフがワシントン行進を提案。共産主義者でゲイの詩人ラスティンらと計画をたてる。数100の単位でなく、数万の単位での動員を企てる。
この行進には、多くの著名人も参加した。
・世界的な大ヒットを持つジャマイカ系黒人の歌手ハリー ベラフォンテ
・モンゴメリー・バス・ボイコット事件のきっかけとなったローザ・パークス
・ゴスペル歌手のマヘリア・ジャクソン
・黒いヴィーナスと呼ばれたジャズ歌手のジョセフィン・ベーカー
・大物アーティストのボブ・ディランやジョーン・バエズ
・マーロン・ブランドやチャールトン・ヘストンら150人の俳優
・暴力的手法もいとわないNOIの活動家 マルコムX
 
1963年8月28日に20万人以上の人が集まった。

I Have a Dream

ワシントン大行進において、リンカーン記念堂の前でマーティン ルーサー キング ジュニアが17分にわたって演説をした時の有名な一節。
 
私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
 
後にいくつも、「私には夢がある」から始まる差別の無いアメリカでの生活を語る内容の演説は、アメリカを代表する名演説として有名である。

公民権法 制定

ワシントン大行進から約1年後、1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)がついに制定された。
ジョンソン副大統領に後押しされケネディ大統領は公民権法案を議会に提出したが、強い政治的影響力を持たず、制定するに至らなかった。その後、ケネディ大統領暗殺によりリンドン・B・ジョンソンに政権が移った時点で、ジョンソン大統領は、政治的影響力をフルに使い、制定へ向けた議会工作を活発化させた。

ノーベル平和賞

1964年、マーティン ルーサー キング ジュニアは、非暴力主義の活動で人種差別の撤廃に貢献した事から、ノーベル平和賞が授与された。

マルコムXの暗殺

1965年2月、マルコムXが暗殺される。
過激なアフリカ系アメリカ人のイスラム運動組織 ネーション・オブ・イスラム (NOI)を脱退したマルコムXは、脱退を理由にNOIに暗殺された。

マーティン ルーサー キング ジュニア 暗殺

1968年にテネシー州 メンフィス ロレインモーテル306号室のバルコニーで、ジェームズ・アール・レイの凶弾に倒れる。

マーティン・ルーサー・キング、ジュニア・デー Martin Luther King, Jr. Day

1986年以降、アメリカではマーティン ルーサー キング ジュニアの栄誉を称え、キング牧師の誕生日である1月15日に近い、1月第3月曜日を「マーティン・ルーサー・キング、ジュニア・デー Martin Luther King, Jr. Day」として祝日にしている。

ちなみに、1981年に発表されたスティーヴィー・ワンダーの曲「ハッピー・バースデイ」(Happy Birthday)は、マーティン ルーサー キング ジュニアの誕生日を祝日にする社会活動のため作られた曲で、キング牧師を讃える曲である。

余談であるが、よくカフェやバーで、照明を落としてこの曲をかけ、誕生日客を祝うサービスがあるが、その場に居合わせたアフリカ系アメリカ人は、祝われている彼女を“偉大な聖女”であると勘違いしないのだろか。

 

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