セントラル高校

リトルロック危機の舞台となったセントラル高校

セントラル高校

1957年のリトルロック危機の舞台となった、公民権運動を語る上でも、大変重要な歴史的建造物です。
現在は人種を問わずさまざまな生徒が通い、世界各国からの留学生も受け入れています。ビジターセンターには、リトルロック危機に関する展示もあります。

リトルロック危機

リトルロック危機の舞台

1954年、黒人の地位向上を目指していた団体(NAACP)が公民権運動の一環として、当時は白人専用であったセントラル高校へ、黒人用の学校に通う成績優秀者9名を転入させることにした。
しかし、セントラル高校の生徒の親たちは反対し、転入反対のデモや集会が行われた。
転入日当日、黒人の生徒たちは、みんなで固まって学校に向かうが、当時のアーカンソー州知事オーヴァル・フォーバスが派遣した州兵に登校を阻止される。
リトルロック市長ウッドロー・ウィルソン・マンがフォーバス知事に法律順守を進言したが拒否され、リトルロック市長はアイゼンハワー大統領に軍の派遣を要請するが、アイゼンハワー大統領はその訴えを無視する。テレビなどで、この騒動が報道されるなど注目を浴びるようになってから、アイゼンハワー大統領は、アメリカ陸軍第101空挺師団をリトルロックへ送り込み、9人の黒人が登校する際の護衛にあたらせる。
9人の黒人生徒達は、登校後の校内で、白人生徒から暴力的ないやがらせやいじめにあう日々を送り、反撃した黒人生徒の一人は退学となるなどの騒動の中、1958年5月27日 黒人学生の一人ジェファーソン・トーマスが卒業。
同年、融合教育に反対するフォーバス知事は、融合教育指定高校となった3校を閉鎖するなどの暴挙にでる。
リトルロックのすべての高校で融合教育が実施さた、1972年までこの争いは続いた。

 

 ビル・クリントン大統領センターアーカンソー州議事堂
 旧州議事堂マッカーサー公園
 アーカンソー州知事邸セントラル高校

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