オレゴンワインの歴史

オレゴンワインの歴史

収穫

固い決意を秘めた夢想家

オレゴンワインの開拓者たちが「専門家」たちの意見に耳を傾けていたら、現在のオレゴンワイン産業は存在しなかったでしょう。しかし、オレゴンワインの素晴らしさはそこにあります。開拓者たちは、夢想家であると同時に固い決意を秘めた先駆者でもあり、批評家の否定的な声に耳を貸すことはありませんでした。理性的とは言い難い信念を貫いて否定派が間違っていることを証明し、不可能を可能にする―それこそがオレゴンワイン産業の歴史なのです。

リチャード・ソマー

1961年、ワイン生産者のリチャード・ソマーは、母校であるカリフォルニア大学デイヴィス校の同期生たちが陰で否定するのも意に介さず、ウンプクワ・ヴァレーをめざして北へ進み、ぶどうの苗木、具体的にはリースリングや少量の他品種を栽培しました。オレゴン州南部のローズバーグ近郊にヒルクレスト・ヴィンヤードを無事開園すると、ほどなくして他のワイン生産者たちも温暖で乾燥したこの栽培地域に移り住み、1969年にはヴィンヤードの近くにオレゴンワイン生産者協会が設立されました。

ウィラメット・ヴァレーで初めてピノ・ノワールを栽培

1965年から1968年にかけて、ウィラメット・ヴァレーのはるか北部では、ソマーと同じく同期生たちの反対の声を聞き入れず、カリフォルニア大学デイヴィス校から逃れてきた3人が、徒歩でウィラメット・ヴァレーをめざしていました。ここなら冷涼地向けの高品質なぶどうの栽培に成功するはずだと、3人は信じていたのです。デイヴィッド・レット、チャールズ・クーリー、ディック・エラスと彼らの家族が危険を顧みず北へと分け入り、ウィラメット・ヴァレー北部にヴィンヤードを開園しました。彼らはウィラメット・ヴァレーで初めてピノ・ノワールを栽培したほか、ピノ・グリやシャルドネ、リースリングといった関連品種も少量栽培しました。

近代のワイン開拓者たち

こうした近代のワイン開拓者たちは、いつかオレゴン州が重要なワイン生産地になることを確信していました。同じ志を持つ他の開拓者たちも負けてはいません。その後10年の間に、デーヴィッド&ジニー・アデルスハイム夫妻やロナルド&マージョリー・ヴァイルスティーク夫妻、リチャード&ナンシー・ ポンズィー夫妻、ジョー&パット・キャンベル夫妻、スーザン&ビル・ソーコル・ブロッサー夫妻らも、ウィラメット・ヴァレー北部にぶどうを植え付けたのです。
開拓者たちは一家そろって働き者でした。家族それぞれが教師や医師、販売員の仕事をしながら、ワインづくりを支えるため力を尽くしました。皆が一致団結して懸命に働き、互いに助言し、ユーモアを忘れず、励まし合いました。

こうして開拓者たちはオレゴン州で高品質なワインを生産することによって、その歴史を刻み始めたのです。しかし、オレゴン州が本格的なワイン生産地として世界にその名を知られるようになったのは、1979年以降のことです。同年、仏レストランガイド『ゴー・ミヨ』主催のフレンチ・ワイン・オリンピック ピノ・ノーワル部門で、デイヴィッド・レットのオレゴン・ピノ・ノワールが、フランスのトップブランドを抑えて上位入賞を果たしたのです。

現在のオレゴン州のワイン

わずか50年で、オレゴン州は16のAVA認定地域を有する世界的なワイン生産地へと発展し、450を超えるワイナリーが72品種のぶどうからワインを生産しています。オレゴン州はワイン生産地として成長し発展を続けていきますが、協調とコミュニティの精神に根ざした文化と共に、今後も変わらずハンドクラフトによる小規模生産を中心に行っていきます。ぶどう栽培者やワイン生産者がテイスティングルームから遠ざかることは、決してありません。

 

協力:オレゴンワインボード

 

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