メンフィスの3人のミュージック・キング
偉大なるミュージック・キングたち
メンフィスはニューオリンズと並ぶ音楽の聖地であり故郷です。そのメンフィスには偉大なる3人のミュージック・キングが居ます。
最も有名なのが、「キング オブ ロックンロール」ことエルビス プレスリーです。そして「キング オブ ブルース」や「ブルースの巨人」と呼ばれるB.B.キング。あと一人は、「キング オブ ソウル」のオーティス レディングです。
3人とも、テネシー州以外の州の出身者ですが、活動の拠点はメンフィスでした。
エルビス プレスリー キング オブ ロックンロール
エルビス プレスリーは1935年1月8日にミシシッピー州 テュペロで生まれました。非常に貧しく、ミシシッピ州を追われるようにテネシー州 メンフィスのアップタウンスクウェア アパートメント(集合住宅)に移り住みます。当時のメンフィスは非常に貧しい黒人労働者が多く、黒人に偏見を持たない母親の影響で黒人音楽も聞いて育ちました。
エルビスは、白人のカントリーウェスタン、黒人のリズム&ブルース、教会で聞くゴスペルを分け隔てなく吸収して育ちます。この白人音楽と黒人音楽を融合して歌うスタイルが、人種差別する白人から批判され、黒人からは自分たちの音楽を盗んだと罵倒されることもありました。しかし、その革新的な音楽は、白人の若者を中心に支持されます。
プレスリーが所属するサンレコードは経営難から、プレスリーの権利をパーカー大佐に売ってしまい、プレスリーは大手メジャーレーベルのRCAレコードと契約することになります。1956年、「ハートブレイク ホテル Heartbreak Hotel」がチャートの1位に躍り出ます。その後、音楽だけでなく映画でも人気の大スターとなります。
18曲のビルボードNo. 1シングル、50枚のアルバムをTOP40に送り込んだエルビス プレスリーは、アメリカだけでなく世界中に受け入れられ「キング オブ ロックンロール」と呼ばれるようになります。
エルビス プレスリーに関係のある観光スポット
グレースランド Graceland サンスタジオ SUN STUDIO
アーケードレストラン The Arcade Restaurant など
B.B.キング キング オブ ブルース
B.B.キングは、1925年9月16日にミシシッピ州 イタベーネで生まれました。小作人として働くかたわら、音楽を身に付けメンフィスに移り住みます。メンフィスでDJをしている時に「Beale Street Blues Boy」からB.B.と、本名姓のキングをあわせて、B.B.キングと呼ばれるようになります。
1949年、ナッシュビルのレーベル、ブレット・レコードからレコード・デビューします。
1951年に、ロサンゼルスのモダン/RPMから出したシングル「3 O’clock Blues」がR&Bチャートの1位となり、B.B.キングの名前が広まります。
エリック・クラプトン、マイク・ブルームフィールド、アルバート・コリンズ、バディ・ガイ、フレディ・キング、ジミ・ヘンドリックス、オーティス・ラッシュ、ジョニー・ウィンターをはじめ、挙げればキリがないぐらいのミュージシャンがB.B.キングに影響を受けています。
84年にはブルースの殿堂入り、87年にはロックンロールの殿堂入りを果たし、90年にはブッシュ大統領から直々にメダルを授けられています。1998年にセルフ・プロデュースした『ブルース・オン・ザ・バイユー』は9つ目のグラミー賞を獲得しています。
まさに、B.B.キングは、「キング オブ ブルース」です。
B.B.キングに関係のある観光スポット
B.B.キング ブルース クラブ
オーティス レディング キング オブ ソウル
オーティス・レディングは、1941年9月9日にジョージア州 ドーソンで生まれました。
1963年3月のファースト・シングル「ジーズ・アームズ・オブ・マイン These Arms of Mine」は80万枚を売り上げるヒットとなり、1964年スタックス傘下のヴォルトから発表したアルバム『Pain in My Heart』は、アトランティック・レコードのもとで全国流通を果します。
1965年末に「お前をはなさない」を大ヒットさせ、多くの名曲を生み出します。
オーティス レディングは、歌が上手いだけでなく、ビッグ・オーと呼ばれるぐらいの巨体から発せられる声量豊かなパワー満点のヴォーカル・スタイルとハスキーな声質で、観客を魅了します。
1967年にはヨーロッパ・ツアーを敢行、6月にはモンターレー・ポップ・フェスティヴァルに出演して白人のオーディエンスにも受け入れられます。しかし、その大成功の半年後、1967年12月にツアー中の飛行機事故によってこの世を去ってしまいます。
事故の直前にボーカルトラックをとり終えていた「ドック・オブ・ザ・ベイ (Sittin’ on) The Dock of the Bay」は、共作者でギタリストであるスティーブ クロッパーの手によりリリース。録音中にオーティスが「今までで最大のヒットになるぞ」と言っていた通り、R&Bチャート3週、ポップ・チャート4週1位を記録します。
オーティスの唱法や音楽は多くのミュージシャンに影響を与えます。日本では上田正樹や忌野清志郎は自らその影響の大きさをインタビューなどに残しています。
死後40年以上経つ今でも、オーティス レディングは、「キング オブ ソウル」として君臨しています。
オーティス レディングに関係のある観光スポット
スタックス・アメリカンソウル博物館 STAX Museum