ブルース リー Bruce Lee


ブルース リーとブランドン リーのお墓

ブルース リーのお墓

カンフーを使うアクション・ムービースターとして有名なブルース リーと、同じくアクション・ムービースターで長男のブランドン リーのお墓がワシントン州 シアトルのレイク・ビュー墓地(Lake View Cemetery)にあります。

ブルース リー

ブルース リーは、広東演劇の役者である父親が家族と共に長期アメリカ巡業中にカリフォルニア州 サンフランシスコの中華街で生まれました。
その後、香港に帰国し中国武術を身につけたブルース リーの悪童ぶりに手を焼いた父親は、ブルース リーが18歳の時に渡米させます。
ブルース リーは、シアトルに単身渡米し、シアトル・セントラル・カレッジからワシントン大学哲学科に進学します。
在学中に中国武術である詠春拳(少林拳)を基本とした振藩功夫(ブルース リー式カンフー)の道場をひらき、道場の生徒と結婚をし、大学を中退して道場経営に専念します。
その後、シアトルの道場は弟子であり親友のターキー木村に任せて、カリフォルニア州 オークランドに第二の道場を開く。
振藩功夫にさまざまな格闘技の技術を取り入れて、より実践的な武術を体得していく。この技術と東洋哲学を組み合わせ截拳道(ジークンドー)を生み出す。
空手選手権大会での演武のVTRがTVシリーズ『グリーン・ホーネット』のプロデューサーの目に止まり、準主役に抜擢されます。『グリーン・ホーネット』出演のため、オークランドの道場はジェームズ・リーに任せ、ロサンゼルスに移住し、第三の道場をひらきます。
『グリーン・ホーネット』での派手なアクションで人気を得て、ハリウッドの俳優たちに武術の個人指導をしたり、TVや映画などのゲスト出演をするようになりますが、白人でないために主演にはなれませんでした。
1970年、香港の映画会社ゴールデン・ハーベストと契約して主演出演した『ドラゴン危機一発』が香港の歴代興行記録を塗り替える大ヒットとなり、ブルース リーは香港のトップスターとなります。
続く『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)では主演と武術指導、3作目の『ドラゴンへの道』(1972年)では、製作・監督・脚本・主演の四役を担当しヒットさせ、香港で不動のトップスターの地位を築きます。
4作目『死亡遊戯』でも自らメガホンを持ち撮影がスタートしますが、ハリウッドのワーナー・ブラザーズと『燃えよドラゴン』の合作の話が持ち上がり、『死亡遊戯』の製作は中断されます。
『燃えよドラゴン』(Enter the Dragon)は1973年8月17日に公開され世界各国で大ヒットとなり、ブルース リーは世界的なスターとなりますが、ブルース リー本人は映画が公開されるより前の1973年7月20日に脳浮腫で亡くなっていました。(32歳没)

ブランドン リー

カリフォルニア州 オークランド出身ですが、ブルース リーが香港映画の出演や撮影のために香港に拠点を移したことにより幼少のころは香港ですごします。父ブルース リーの死後、ロサンゼルスへ移住しエマーソン大学在学中に俳優を目指します。
1987年、香港映画『ファイアー・ドラゴン』で初主演しハリウッドでデビュー。
しかし、1993年に映画『クロウ/飛翔伝説』の収録中の銃撃シーンで、撮影用空砲を使用していたはずが、なぜか弾が発射され腹部に命中し死亡。
28歳で帰らぬ人となってしまいます。

 

協力:シアトル・ワシントン州観光事務所

 

レイク・ビュー墓地への行き方

Lake View Cemetery 1554 15th Ave E, Seattle, WA
シアトルの中心地から車(レンタカー)で行く場合の一例です。

 

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