一番最初にこの地にやってきたのは、この地峡を渡りやってきたアジア人だったといわれています。彼らがこの地に暮らしたイヌイットなどの祖先です。
18世紀にはロシアが行ったカムチャッカ周辺の探検により、ユーラシア大陸とアメリカ大陸が地続きではないことが発見されました。
そして船はアラスカに到着し、この地が発見されることとなります。
ちなみに発見したのはロシア海軍の船に乗ったデンマーク人探検家、ヴィトゥス・ベーリングです。
「ベーリング海」「ベーリング海峡」などの名前の元になった人物で、この地の探検に大きく貢献した人物でもあります。
この探検の折、彼らはこの一帯に生息するアザラシやラッコの毛皮を持ち帰りました。
するとロシアでこの毛皮が大人気となったようで、次々に人々がアラスカ沿岸に押し寄せ、この地の入植を始めます。
(アザラシやラッコは乱獲され、これにより絶滅してしまったステラーカイギュウなどもいます。)
ロシアは先住民たちとの戦いを重ね、武力で制圧し、この地を大きな毛皮交易の拠点としていきます。
しかし、乱獲による動物の減少などにより、経営は徐々に悪化の一途を辿っていくことになります。
1854年ロシアはクリミア戦争に突入し、その結果莫大な損失を抱えることになります。
財政危機に陥ったロシアは、このアラスカの地をアメリカに譲渡すると持ちかけます。
1867年当時のアメリカ国務長官だったウィリアム・スワードは、アラスカを720万ドルで手に入れました。
当時、スワードは「巨大な冷蔵庫を買った男」と呼ばれ、寒いだけのこんな土地を買ってどうするんだ?と笑われたそうです。
しかし、その後アラスカに油田や金脈などが発見されると、彼への評価も手のひらを返したように変わったのだとか。
反対に、ロシアはこんなに天然資源が豊富な地を手放して、ずいぶんもったいないことをしたわけです。
1884年、この地はまずアメリカの属領地となります。
この時期、アメリカでは南北戦争後の国内再建に手いっぱいで、正直なところアラスカに手をかける暇はなかったようです。
1912年、アラスカは属領地から準州になり、1959年1月3日、49番目の州に昇格しました。