アベナキ族、パサマクォディ族などが住んでいたこの土地にヨーロッパ人がやってきたのは1604年のこと。
最初に訪れたのはフランス人、サミュエル・ド・シャンプランだったといわれています。
彼はこの地域にアカディアという名前を付けました。
フランス領ヌーベル・フランスとイギリス領ニューイングランドの間に位置するという土地柄、
このアカディアの所有権に関しては、フランスとイギリスの間で争われることになります。
1713年アン女王戦争の講和条約となるユトレヒト条約により、この地はイギリスのものとなります。
イギリスはこの地に暮らすフランス人にもイギリスへの忠誠を誓うように迫ります。
これを拒むフランス人とイギリスの間に争いが続き、ついにイギリスは彼らを現カナダなどに強制移送し排斥してしまいました。
その後の独立戦争では、この地がアメリカ軍とイギリス軍の衝突の場となりました。
独立戦争後、この地はマサチューセッツ州の一部とされていました。
そして1820年3月15日に23番目の州として制定されるのですが、これには大きな政治背景があります。
当時、アメリカには奴隷制に対する考え方が2つありました。
奴隷制を禁じる自由州と、認める奴隷州です。
この2つのバランスをうまく保つことが、連邦を維持するために不可欠だったと言われています。
メインが州になる少し前、ミズーリ準州が州への昇格を申請しました。ミズーリは古くから奴隷制を認めていた州です。
うまいこと均衡を保っていた状態だったところに、奴隷州ミズーリを州に加えるとなるとバランスが取れなくなります。
じゃあ、自由州をもうひとつ増やそう、ということでマサチューセッツ州を二つに分け、メイン州として制定したのだそうです。
言ってしまえば、数合わせ...だったわけですね。